初詣

平成最期の初日の出を拝んだだろうか?

一年の計は元旦にあり。
とはよく言ったもの。

早朝から神社に出かけ、皇室の弥栄、国民の平和、家族の安寧を祈る。
この毎年の行動こそ、強烈な暗示と全国民の強制アップデートの機会となっているということに気が付いているか?

我が家は毎年鹿島神宮へ参拝する。

この鹿島神宮は、延喜式神名帳で「神宮」と表記される3つの神社のうちの一つなのだ。
そのうちの一つは言わずと知れた「伊勢神宮」、もう一つが「香取神宮」。

「神宮」と称される神社が千葉と茨城の今では辺鄙な場所に存在することが不思議ではないか?
これは日本の歴史において非常に面白いいわれがあるの だと容易に想像できる。

まぁ、神社の詳しい話は脇に置いておいて、前に起きた「不思議」なお話を。

鹿島神宮で初詣をした際に、天照大御神と鹿島神宮のお札を買って、後日、地元の諏訪神社でもお札を買って、その3つを神棚に入れておいた。
一年後の元旦、古くなったお札をお焚き上げしてもらおうと神棚を見たら・・・・・事もあろうか諏訪大社のお札が無くなっていたのだ。

うちには妻しかいないので、聞いてみても知らないという。
諏訪神社のお札を神棚に入れたのは確かなのだが・・・・・・不可思議。

ピンと来た。

鹿島神宮で祀られているの はタケミカヅチの神。諏訪大社はタケミナカタの神。
古事記では、タケミカヅチの神とタケミナカタの神は力比べをして、タケミカヅチの神がタケミナカタの神を放り投げたのだ。

そう。
うちのお札も、諏訪大社のお札は鹿島神宮のお札に放り投げだされたのだ。
と、解釈するしか他はない。

このような不思議な事が起きてからというもの、初詣には鹿島神宮へ参拝し、その神力を毎年いただくということとなったのだ。

さて、祈りの話を。
毎年どれだけの人が初詣に出かけているかは分からないが、この行動は意味のないことかというと、決してそうでもない。
それどころか、意識のアップデー トの場にもなっているのだ。

早朝から家を出て厳かに神社へ向かう。
神社では祝詞が読み上げられ、様々な行事が行われているという雰囲気。
多くの参拝客。参道に漂う凛とした空気。
神社という普段訪れない場。

これらが絶妙に混じり合い、2礼2拍手1礼という決まった行動をすることで、この祈りの瞬間に瞑想時と似た変成意識状態になるのだ。
そのため、初詣の際に祈った事は強烈なアファメーションとなり、その後の1年の行動を形作る。
そして初日の出を拝むことで、変性意識は解除される。

初詣とはかような意味合いがあるのだ。(タダヨガ研究室調べ)