色々あって


日本人は、
「他人と自分は異なるんじゃないかと思い悩み、やがて精神を病む」
昔読んだ本に書かれていた。

一方、フランス人だったかと思うけど、
「他人と自分が同じように感じてしまい思い悩み、やがて精神を病む」
だそうです。

見事に正反対なこの精神構造は、とても興味深いものがある。

日本の同調圧力というのは、本当に強いものであると感じるが、フランスでは同調しない圧力が仮にあるとするとそれも大変だろう。

意見を回りに合わせたり、空気を読むという感性を子供のころから研ぎ澄ませてきた日本人は、できるだけ同じであることに対して安心を覚える。

でも服が被ったら気まずいとか、結局どっちなの?

出る杭は打たれるが、出過ぎ た杭はもはや打たれないともいわれる。

「出過ぎた真似はするなよ」
というセリフ、出過ぎるともはや打てないからだろう。

以上のことから1点分かったことがある。

日本人は「同じ」であることを基本的に望むが、同じという中にあっても微小な差はあって、その少しの差で個性を頑張って表現するのが日本人なのだろう。

傍から見れば殆ど同じに見えても、小さな差が大切なのだ。誇りなのだ。それが個性なのだ。

本当に?

まぁ、だから、あなたが誰かを妬んだり僻んだりするのは、本当に小さい差に対してのみなんだよね。

差が感じられない程に出過ぎていたらスルーするしかないでしょ。
相手にした時点で、自分の負けが確定しているからでしょ?

ビルゲイツ程の資産を持っている人に、「あなた稼ぎすぎですよ」って言っても何の意味もない。
アリがゾウに対して異議申し立てを申請しても、次元も価値観も違う。

しかし、話が通じないだけで終わっていたら何も始まらない。

その違いが新たな価値を生むということに気を付けなくてはならない。

ゾウはアリの世界を知ることによって、地下深くに迷路のような社会があることを知る。

アリはゾウの世界を知ることによって、鼻で物を食べられうことを知る。

ソフトバンクの孫正義は300年続く会社組織に必要なのは「多様性」と述べている。

これからの社会に求められるのはまさにそのような多様性なのだ。

現状の認識の壁を超えるためには、自分の 小さな価値観とは異なる他者の認識を、対話を通して吸収していくことだ。
小さな差を一つ越えてみよう。
そして、多様性のある世界を目指そう。

同じであるとは、変化が無いことである。

変化の無い所に成長は無い。
だから変化を恐れてはいけない。

ただ黙っていても世界は猛スピードで変化しているから、何もしない事とは、停滞ではなく単なる劣化である。



マサ


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