私があなたであることを拒むもの

将来的にあなたの遺伝情報をコピーして、あなたのクローンができたとする。

そのクローンはあなたともちろん瓜二つ。

記憶も同じで、考え方も同じ。

では、クローンがいるから、あなたには消えてもらおう。

と言われた場合、あなたは全力で拒否するだろう。

「私」と「クローン」は別人だ!と。

でもね、他者から見たら、どっちも同じ。

あなたは自身とクローンとの違いを知っている。

だって、クローンの見ている世界と、あなたの見ている世界は同期していないし、その瞬間の感じ方や気持ちも全く同じというわけではない。

ここで、全力で拒否した存在こそがあなたです。

あなたと思い込んでいる存在です。

自分と他者を分ける存在。

これがエゴ。

エゴが全面的に悪いというわけではありませんよ。

エゴがなければ、私と他者は同じということになります。

エゴがあるからこそ、自分と全く同じ存在が目の前にいたとしても、それは別人と認識するわけです。

だから見た目も性格も異なる他人については、自分とは別人であると思ってしまうのは自然のことですね。

まぁ、同じなんですが。

ところで「エゴよ出て姿を現せと」言っても、エゴは物質世界には存在しないので、出てくることはないですね。

でも、このエゴっていうやつは、この物質世界を変えたくて仕方ないんです。

自分の好きなように。

だから、人の欲によって世界の形を変えてしまう力を持っています。

瞑想を深めていくとエゴの動きが低下し、2元的な世界から脱却することができます。

好き嫌いからの脱却、良い悪いからの脱却、私・あなたからの脱却です。

最近、死ぬという現象について、改めて考えてみました。

なんかね、ふっと自分も死ぬんだという感覚がザワザワと湧いてきたのです。

なんでだろう・・・・・・?

死ぬのが怖いと感じている存在は、おなじみのエゴです。

エゴが恐怖を覚えさせる存在です。

僕の肉体が人としての存在を留められなくなった時、エゴも住む場所を失います。

エゴは物質として存在することができず、人の心の中にしか住めません。

とても弱い存在なんです。

そして、その人固有で他には存在できないんです。

自分のエゴが他人に飛んでいくことはありません。

それは極めて個人的な存在。

まず、このエゴを超えていくことが重要なこと。

人間にはこういう仕組みがあって、でもその仕組みに踊らされてると、個人的な世界でしか生きていけない。

今はエゴがないと生きていけないという世界ではなくなったので、もう少し人間は進化していく時期なんじゃないでしょうか。

マサ